日本代表よ、勇ましくあれ!
~日本代表ニックネーム「BRAVE BLOSSOMS」の由来を辿る~

日本代表の愛称として知られる「BRAVE BLOSSOMS」について、『BRAVE BLOSSOMSとは』
にてお伝えしたように、きっかけはRWC2003のスコットランド戦(●11-32)であり、RWC2015対南アフリカ戦の以前から使われていたことが分かった。

今回は上記の記事内にも登場した、通信社記者であるリッチー・フリーマンさんに、RWC2003のスコットランド戦(@豪州・タウンズビル)で行われた日本代表チームの戦いぶりと、日本代表“BRAVE BLOSSOMS”への想いを語ってもらった。取材に際してフリーマンさんは、RWC2003当時の新聞記事、雑誌等多くの資料を持参してくれ、当時のことを振り返ってくれた。
「2003年のタウンズビルでのワールドカップの時、強豪スコットランドとの対戦で、日本チームの奮闘ぶりは、そこにいた記者の誰もが予想していなかったほど勇ましいものだった。日本チームは、当時はチェリー・ブロッサムズ(エンブレムの桜にちなんで)と呼ばれていたが、スコットランド戦を観て、“Brave”だ! 彼らは“Brave Blossoms”だ!と、そう呼ばれるようになったんだ」


リッチー・フリーマン氏(共同通信社)

スコットランド戦前日、記者の間では、「明日は、スコットランドが日本を粉砕するだろう。ハーフタイムですでに40-0ぐらいで試合は決まってしまうだろう」と言われていたという。

しかし、どうだ。試合が始まって日本チームは果敢にスコットランド陣地に攻め込み、ゲームキャプテンだった箕内拓郎選手(現日野自動車コーチ)を中心に136タックルという驚異の数字を残した。試合には敗れた日本チームだったが、その勇敢な戦いぶりに観る者誰もが心を動かされた。
「試合中に僕が“Brave Blossoms”だとメディアルームで言っていたと、それを聞いた日本人留学生であった坂田博史さん(関西ラグビー協会の会長・坂田好弘さんのご長男)が自身の大学の卒業論文にその日のことを書き残している。だとしたら僕なんだろう(笑)」
ゲームの次の日、タウンズビルの現地の地元紙に大きく「BRAVE BLOSSOMS」と書かれていた。(写真は、現地に取材に行っていたラグビーライターの大友信彦氏が資料として残していたもの)。

写真提供:大友信彦(ラグビージャーナリスト)

リッチーさんは続ける。「でも、日本チームの勇敢な戦いぶりは、スコットランド戦だけでなく、次のフランス戦(●29-51)でも日本の勇気ある戦いぶりは称賛されたんだ」。
そこからリッチーさんは日本チームは“Cheery Blossoms”ではなく“Brave Blossoms”と呼ぶべきチームだと、言い続けた。2004年にはスコットランドの新聞に、2007年にはイングランドのラグビーマガジンや、IRBワールドラグビーイヤーブックにも各所に“Brave Blossoms”と書いた。

「前日本代表ヘッドコーチのエディージョーンズが1996年東海大、それ以降にサントリーなどでコーチをしていて、日本のレベルは確実に上がっていたと思うよ。その時にエディーと一緒に東海大学のコーチをしていたグレン・エラーの弟がオーストラリア代表で2003年のワールドカップで活躍したマーク・エラー。そのオーストラリア大会で日本が活躍するのには何か意味があったのかもしれないね」

2003年のワールドカップで生まれた“Brave Blossoms”が、ラグビー日本代表のニックネームになっている今、2019年に向けてさらにラグビー人気が向上している。そのラグビーファンのだれもが、“Brave Blossoms”に相応しい日本代表の戦いぶりを2019年日本で再びみられることを期待している。

インタビュー:山田幸代(プロラクロス選手・オーストラリア代表)
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